ホーム  English  利用案内  資料検索  ログイン

図書館ホーム > 仲町つれづれバックナンバー > NO.213~NO.227(2008.12~2009.1)

仲町つれづれNO.213~NO.227 ~佐倉図書館通信

仲町つれづれNO.227 2009年1月28日(水)
『寡黙なる巨人』~多田富雄さんのこと
多田富雄さん(1934-)は、世界的な免疫学者で、1984年の文化功労者です。能楽にも造詣が深く、『無明の井』や『望恨歌』などの新作能の作者として、佐倉にも何度か見えており、お会いしたことがあります。いつも蝶ネクタイの装いでしたが、自らも大蔵流小鼓をうつなど多趣味の人です。日本エッセイストクラブ賞受賞作の『独酌余滴』(朝日新聞社、1999)などは雑誌連載中から楽しみに読んでいました。
その多田さんが、2001年に旅先の金沢で、脳梗塞で倒れられたのです。『寡黙なる巨人』の「はじめに」の書き出しに、こうあります。

「あの日を境にしてすべてが変わってしまった。私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった。でも私は生きている。以前とは別の世界に。半身不随になって、人の情けを受けながら、重い車椅子に体を任せて。言葉を失い、食べるものも水を飲むのもままならず、沈黙の世界にじっと眼を見開いて、生きている。」
多田さんは、右半身不随と言語障害を負われましたが、昔より「確実な生の感覚」を持って生き続けて、「その中で私は生きる理由を見出そうとしている」そうです。その絶望の淵から這い上がってきた一年間の記録が『寡黙なる巨人』(集英社、2007)という本にまとめられています。「寡黙なる巨人」とは多田さん自身のことで、そこにはユーモアと皮肉がこめられています。
記憶に新しいところでは、2006年の小泉改革の一環として「リハビリテーション診療報酬改定」があった時、多田さんは「リハビリ中止は死の宣告」と題して『「死ね』といわんばかり。これが人間のための政治か!」と朝日新聞に投書を出し、反対運動に立ち上がられたこともありました。
また、この本は、昨年(2008年)第7回小林秀雄賞を受賞されました。多田さんは記者会見で「大変うれしい。修道僧のように書くのが生きがいです」と喜びを語り、「書くことがつらいのは当たり前。だから渾身で書いています」(『東京新聞』夕刊、2008.9.3付)とも語られたということです。
今は会話補助装置を使う生活の中ながら、執筆意欲は旺盛で、あちこちに原稿を書かれています。後学の者には嬉しい限りです。『新潮』1月号から『残夢整理―レ・ゾアゾウ』という連載を始められました。そこには、学生時代は文学少年で、安藤元雄や江藤淳等と同人誌『ビュルテ』を出していて、「やがてこの雑誌で、批評家江藤淳が誕生するのだ」等の興味深い話が書かれています。このようにして青春の記憶が綴られていくのでしょう。

*1997年10月18日。佐倉城址(本丸跡)での第4回佐倉城薪能において、多田さんの『無明の井』が、今は亡き橋岡久馬師によって演じられました。ちょうど同じ年の10月16日に臓器移植法が施行されたばかりでもあり、市民の関心は高く、すぐ完売となったものです。この『無明の井』(1991年初演)は、脳死状態で心臓を摘出された漁夫と、その心臓を移植された娘の霊が、旅の僧に「無明」の闇の世界の苦しみを訴える物語です。漁夫の霊が「我は生き人か、死に人か」と問いかけるくだりがあります。この作品はわれわれにとって「死とは何か」を考えさせてくれます。残念ながら、佐倉ならではだった城址での薪能は、現在では開催されなくなってしまいました。

~病は中立である。貴賎優劣を問わず人を襲う。すぐれた病人もいれば、そうでない病人もあろう。それは健常者でも同じことである。その違いを見ず、病人という括りを作り、それを切る思想はなにを生み出すことやら。~(養老孟司さんの言葉より)

*多田富雄 『寡黙なる巨人』 集英社 2007年
*多田富雄 『わたしはリハビリ闘争』 青土社 2007年
*多田富雄・柳澤桂子 『露の身ながら いのちへの対話往復書簡』 集英社 2004年
仲町つれづれNO.226 2009年1月20日(火)
季語の力を再認識して-「歳時記」の時代
小正月も過ぎ、今日1月20日は「大寒」です。普段ごく大雑把な季節感しか心に留めず、自然の微妙な変化に鈍感になっているのが気になり、最近、季語に関心を持っています。季語には「季節に対する憧憬と愛情の感情が凝縮」されています。俳句は嗜みませんが、歳時記を見て、失われていく季節感や伝統行事、日本語の持つ美しさを、俳句を通して再発見したいと思うようになりました。
日本人が自然に対して今日見るように深い関心を持ち、風物に特別な連想や感興を持つようになったのは、平安時代の『古今和歌集』以降だそうです。
例えば、「新年」を迎えましたが、「正月」「三が日」が過ぎてやや平常に戻る「四日」、いずれも季語なのです。
     其人のすでに亡かりし四日かな  高浜虚子

「五日」「六日」「七日」、これらもすべて季語で、「俳句では松の内の日々の微妙な違いを楽しむ」(坪内稔典『季節のたより』(『毎日新聞』09.01.04付)のだそうです。
     鎌鼬(かまいたち) 萱負ふ人の倒れけり  水原秋桜子

この「鎌鼬」は冬の季語になります。これは突如として頬や脚などに鎌で切ったような裂傷ができることをいいます。昔はイタチの仕業と信じられています。雪国に多く、歳時記では冷たい旋風で空気中に真空が生じ、「皮膚の一部がそこに触れると、体内の気圧と体外の気圧とがバランスを保とうとして起きる創」とあります。
     小夏日(こなつび)の潮吹き上ぐる一枚岩  本部弘子
初冬の、旧暦の10月頃の暖かい日を本州では「小春日和」といいますが、沖縄ではこの時期をまだ暑さも残るので、「小夏日」というのだそうです。宮坂静生さんの『語りかける季語ゆるやかな日本』のなかで、これを土地の貌が見えるように詠むという意味で「地貌季語」と呼んでいます。このような季語もあまた存在するのです。その時代やその地域に即応した季語があり、このところの社会的要請もあって、新しい歳時記が相次いで刊行されています。昨年だけでも『週刊日本の歳時記』(全50巻、小学館)などが発行されています。 

歳時記の基本となる暦法は、古代では大半が月の満ち欠けを暦としていました。太陽を持って基準とする太陽暦(1年は約12.3月)もあり、中国や日本では太陽暦の一種である二十四節気を併用した太陰太陽暦となっています。
暦作りで重要なのは「冬至」です。殷・周時代の新年は冬至の日をもって始まっていました。やがて戦国時代から、冬至と春分の中間点を春の初め(予兆)として新年とする考え方が生まれたそうです。古典に出てくる日付や沖縄の年中行事は、今も旧暦であり、それはまた、農作業のおおまかな基準になる農暦でもあります。
身近なところでもスローライフ運動など、旧暦を気にしながら暮らしてみると良くわかります。旧暦の閏年にも、四季の変化がズレてきます。季節が毎年二十四節気通りに変化するのであれば月と太陽の運行を同時にとらえた太陰太陽暦は不要のはず、ということになります。
よく「暦の上では立春です」といいます。この暦とは旧暦のことで、今年の立春は2月4日です。今の立春前後の新月の日が、旧暦の年の初め、元日とされていました。今年の場合は1月26日が旧暦の元日になります。季語の話に戻りますと、前に見たように旧暦では春の初めと年の初めがほぼ同時にきたために、「初春」という言葉は「ショシュン」と音読みすれば、春の初めの意味になりますが、「ハツハル」と訓読みすれば、新しい一年の初めの意味になるのです。
現代においては、季語の見直しもされています。季語を不要とする主張もありますが、季節感を表現するには季語をなおざりにすることはできないように思われます。
東京新聞の「短歌月評」(08.12.16)で歌人の篠弘さんは、「これまでの短歌史になかったことだが、六十歳代における『定年』が、新しいジャンルとなってきた」と書いていました。俳句界でも、団塊の世代の一人として、退職などをモチーフにした作品が増えていくだろうと思います。事実、退職したら作歌を始めたり、小説を書くという友人がいます。
定年後の発句は、やはりもう一人の自分を探ることなのです。シニア世代が今日の俳句界の人気の下支えをしているともいえるのではないでしょうか。

*『角川俳句大歳時記』新年 角川学芸出版 2006年 (筑紫磐井「歳時記と季語の歴史」)
*宮坂静生 『語りかける季語ゆるやかな日本』 岩波書店 2006年
*宮坂静生 『ゆたかなる季語こまやかな日本』 岩波書店 2008年
仲町つれづれNO.225 2009年1月16日(金)
一年の目標をたてましたか?
「一年の計は元旦にあり」です。新しい年が始まり、身の回りのものも新しいものに変わってから、約2週間が経ちました。今年こそはと、誓ったものの、また三日坊主に終わったという人もおられるでしょうか。日記や、トレーニング、家計簿とかはどうでしょうか。『日経』(09.01.03付)のデータによると、三割の人がくじけた経験を持つのは日記だとか。「毎日のできごとが平凡で」(二十代女性)という理由が目立つようです。

養老孟司さんは「日本人は不思議に日記をつける人が多い」といいます。学校教育の影響かもしれません。私自身、夏休みの宿題として朝顔日記なるものをつけてからの習慣となっていて、1957年小学校2年の頃の日記帳(博文館新社「小学生日記」)から残っています。因みに「1957(昭和32)年1月1日(火曜日)。雨。もちを4つ食べ、かるたをした。年賀状がきた。」とあり、「年のはじめに、1.字をきれいにかくこと。2.本を大切に、よくかたづけること。3.よばれたらすぐへんじをすること。」と誓いを書いています。
この頃から親の影響もあり、今でも一貫して博文館新社の当用日記を使っています。形式が決まっているが故に、毎日を埋めていけるのです。1960(昭和35)年1月のところには「大鵬が優勝」などという記録もあります。「巨人、大鵬、卵焼き」といわれた時代です。そのころの扉裏面に巨人軍長嶋茂雄選手の顔を書いたりしています(右の写真を参照)。まさかの偶然ながら、彼の出身地で定年を迎えることとなりました。
現代ではパソコンが普及し、日記もブログという形式が流行っていますが、養老さんは少なくとも自分の場合、日記の内容が「だんだん記録になってきている」といいます(「今週の本棚」〈『毎日』08・12・21付〉より)。日記はブログと違って非公開のものながら、「将来の自分はいまの自分ではない。中学時代の日記を読むと恥ずかしい。」(養老)というように、歳とともに、日記の内容も変わってきていることは間違いないでしょう。しかし、備忘録程度の気持ちで、記録であっても続けることは大事なことだと思います。

*放浪の俳人として多くのファンをもつ種田山頭火の、1931(昭和6)年元日の日記にある句は「水仙いちりんのお正月です」。大晦日に手元の4銭を入浴に使って無一文になった彼は、知人に金を借りて、ささやかな正月を迎えたようです。(『余録』09.01.01付より)
仲町つれづれNO.224 2009年1月14日(水)
オランダの子どもが幸せな理由②
(前号より続く)
WHOによる欧州と北米の35カ国調査では、オランダの「子ども達が学校の勉強に対して感じるストレスが11歳、13歳、15歳のすべての年齢で」最も少ないという結果もあります。いじめの問題にしても、「学校で問題になっていると答えた子供(12~18歳)の割合は16%」(ブリティッシュ・カウンシルの調査)と、ヨーロッパ7カ国の中では最も低く(最高は英国で48%)、親と教師の関係が密なことが要因として考えられています。

オランダの福祉は、というと、決して突出して充実しているわけではありません。、子どもは家族が育てるものという伝統的な考えが大切にされ、国の財政支出(児童手当等の現金給付と保育所等サービス給付の合計)の対GDP比は1.1%で、平均より少ない(スウェーデンは3.8%で最大)のです。
オランダは何でも寛容な国ですが、ドラッグとセックスについてもオープンです。しかし「思いやりを持ち、女性を平等視するよう教えられ」、「セックスは愛情が伴うものという考えが根強い」ので、15歳の避妊率は一番(WHOの調査)だとか。ユニセフの調査でも、10代の妊娠率は日本に次いで2番目に少ないのです。ドラッグの使用も、個人の判断に委ねられています。
終わりに、オランダでは子どもを社会の一員として考える、特別扱いはしないという考えが定着しているのですが、ユトレヒト大学教授のミシャ・デ・ウィンター博士は「無制限な自由は子供の発達に障害になりうる」ので、「教師や親がどう選択し、その選択にどう責任をもつかを子どもに教えなくてはならない」とコメントしています。
オランダは「世界は神がつくったが、オランダはオランダ人がつくった」というほど干拓の国です。今では国土の三分の二が海水面下にあります。ホームステイをした20年前の時点でも、すでに、地球温暖化の影響で海水面が上昇するということを徹底的に教えていました。今は移民が増え続け(10.8%など)、移民の子どもがオランダでどう生きるか、オランダ人の子どもが彼らとどう共存していくべきかを教えているようです。寛容の国オランダは保守化し、変わっていくのでしょうか。 

*右は、オランダの田舎、湖に囲まれた地にお住まいの画家・エッセイストの吉屋敬さんから送られてきた写真です。
「年末から2週間以上も、夜はマイナス15度以下になる真冬」の状況が続き、家の前の湖がスケート場化している風景です。
写真右側の女性は乳母車を押しながらスケート中とのこと。
各地の湖水や運河でスケートマラソンが行われ、久しぶりに天然氷の上で国内チャンピオン大会も開催されたそうです。
IMG_1470 - コピー   
仲町つれづれNO.223 2009年1月14日(水)
オランダの子どもが世界一幸せな理由①
最近公表された「国際数学・理科教育動向調査」(2007年)で、日本はシンガポールや台湾の後塵を拝しているものの、平均点では前回(03年)を上回ったり、「勉強は楽しい」と答えた児童の割合が増えた(改善傾向)といわれています。文科省は小中学生の理数の学力低下に歯止めがかかったとみているようです。
2007年2月にユニセフ(国連児童基金)のイノチェンティ研究所が発表した、先進国とOECD加盟国のうち21カ国(日本は含まれていない)の子どもの幸福度ランキングがあります。これは、既存の複数の統計を基に「物」「健康と安全」「教育」「友人や家族との関係」「日常生活上のリスク」「子供自身の実感」の6つの角度から考察し、ランキングを作成したものです。
1位はオランダ、2位はスウエーデン、デンマーク、フィンランドと続きます。20位にアメリカ、21位イギリスとなっています。小欄でも取り上げたことがあるフィンランドなど北欧諸国を抑え、売春やマリファナを合法化するなど、寛容な政策で知られるオランダが1位に選ばれているのです。オランダの子ども達が幸せな理由とは何なのでしょうか?この点についてのリポートが『NEWSWEEK』(08.12.10)に掲載されていました。
オランダで何度もホームステイをし、小学校体験をしましたが、オランダの子ども達は自分のペースで自分のやり方で学んでいます。先生も先生で個性を尊重し、決して管理教育ではないのです。この調査によると「学校生活への満足度が高いだけでなく、友達や家族との関係も良好で、肥満児が少ないなど健康的でもある。何よりも子ども自身の実感として、ほかのどの国の子どもよりも『幸せ』と答えている」のだということです。
われわれ日本人の物差しだけで推し測ってはいけないでしょうが、オランダの大人たちを見ていると、その多くは、会社から一目散に帰宅し、午後6時には家族で食卓を囲むことを大切にしています。食事も質素で、外食はほとんどしない、家庭第一の生活をしています。(週2回以上親と一緒に食事をする割合が90%(4位))。
オランダではワークシェアリングが進み、一人あたりの年平均労働時間は1391時間。男性の育児休業取得率は16%。平均で週に8時間、36週取得(その多くは有給)。育児法にも特徴があるようです。6か月の乳児の1日の睡眠時間は15時間(米で平均13時間)、肥満児の割合は7.6%(21カ国中、2番目に少ない)。このようにデータを列挙しただけでも、オランダの子ども達は、穏やかな雰囲気の中で、健康にすくすく育っていることがわかります。
オランダの子どもは、大抵4歳の誕生日から小学校に通い始め、学校を自由に選べるようになっています。公立校は全体の3割で、宗教系の私立校や、モンテッソーリやシュタイナーなど特定の教育法に基づく学校もあり、私立でも学費は無料です。小学校でも落第はあり、宿題はめったにない、何をどう教えるかは各校の裁量に任されているようです。(つづく)
仲町つれづれNO.222 2009年1月13日(火)
高橋睦郎の『遊ぶ日本』
昨年の10月20日、日本を代表する歌舞伎専門劇場である歌舞伎座が、2010年4月公演を最後に建て替えられるという発表がありました。歌舞伎座は、1889年に銀座(昔の木挽町、佐倉藩中屋敷も付近にあり)に開場し、現在の建物は4代目で1951年に復興したものです。桃山様式を思わせる、華やかな彩色が施された純和風の建物であり、よく外国人観光客が写真に収めているところを見かけます。
昨年の12月公演昼の部で、坂東三津五郎初挑戦の「京鹿子娘道成寺」、松本幸四郎の「佐倉義民伝」などの演目が行われていました。幸四郎の「佐倉義民伝」は、佐倉藩の義民として知られる名主佐倉宗吾(惣五郎)の功績を劇化したものですが、木内宗吾役は松本幸四郎の祖父(七代目幸四郎)の当たり役で23年ぶりの再演だったということです。

(2008年12月撮影)
今は16ヶ月間続く「さよなら公演」が始まっています。正月2日には、その幕開きとして歌舞伎俳優など170人が舞台上に集まり「古式顔寄せ手打ち式」が行われました。また、祝儀舞踊「老松」を、芝翫(しかん)、藤十郎、富十郎の人間国宝三人が踊り納めをしていました。いずれもニュースで見たのですが、それは見事なものでした。
歌舞伎は、能楽とともに二大国劇といわれます。江戸時代に限ってみれば歌舞伎と人形浄瑠璃(二大演劇)ということになります。歌舞伎は能楽より華美で外面的であるといえましょうか。詩人の高橋睦郎さん(1937-)の『遊ぶ日本』という本の中から、歌舞伎の始原について拾ってみます。

歌舞伎は、「傾(かぶ)き」の当て字で、「歌と舞から成る伎(わざ)」ということで「両者はあんがいに相似なのでは」というわけです。さらに「かぶき」は頭のことをいう「かぶ」を語幹とする動詞(終止形は「かぶく」)で、「もと頭がかたむくこと」。「傾きは傾き者を産み、傾きの能=歌舞伎を齎(もたら)した。歌舞伎ははじめ踊りのかたちで登場する。出雲のお国と呼ばれる女性によるカブキ踊が、それだ。」というわけです。このカブキ踊は突然出現したものではありません。歌舞伎の歴史は、何度かの危機を乗り越えて今日まで受け継がれてきたものなのです。
高橋さんの本は、平安時代の神楽歌(筆者:「カグラウタ」と読まれる以前には「カミアソビウタ」と読まれていた可能性が高いという)から始まって、日本の遊びのありようについて、テーマ別に柔軟な思考と豊富な古典の引用で書かれています。この原点は、オランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガ(1872-1945)の『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳)普及版にあったといいます。高橋さんによると、『遊ぶ日本』は「日本語に即した」、「日本の感性に即した」遊びの考察で、「『すべて人間の行なうことは遊びにすぎない』という常識的言説の消極的確認ではない。逆に『人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたのだ』という積極的な提言だ」といいます。

*高橋睦郎 『遊ぶ日本 神あそぶゆえ人あそぶ』 集英社 2008年
*ヨハン・ホイジンガ、高橋英夫訳 『ホモ・ルーデンス』 中公文庫 1973年
  ホモ・ルーデンスとは「遊ぶ人」という意味で、ヨハン・ホイジンガの本の中では「日本語における『遊び』の表現」という項目があります。
仲町つれづれNO.221 2009年1月6日(火)
謹賀新年
今年が皆様方にとって幸多き年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
「淑気」は水が清く満ちていることを表す言葉です。天地に満ちている正月のめでたさを表すのにふさわしいため、新年に使われる季語となっています。皆様はどのように新年を迎えられましたでしょうか。
佐倉図書館は、今年で開館33年目を迎えます。図書館を取り巻く状況には依然として厳しいものがあります。その中で職員一同サービスに努めてまいります。本年もご愛顧のほど、よろしくお願いします。

我が国の駅前には必ずと言ってよいほど本屋があるものですが、京成佐倉駅前の本屋さんが年末に閉店となりました。出版界も不況で、書籍の売り上げは伸び悩み、特に雑誌の落ち込みは顕著で、著名な雑誌の休刊も相次いでいます。地域の文化の灯が消えていくことに一抹の不安を感じます。本当にさびしい限りです。そう意味では「目出度さもちゅう位也」といったところです。
しかし、この不況の世の中、いくら読書離れが続いているといっても、図書館では悲観などしていません。むしろ、こういう時代を生き抜いていくためにこそ、子ども達が本に親しむということの重要性について、私達大人がもっと真剣に考えていくべきだと思っています。
そのため、厳しい状況ではありますが、未来に向けて種をまく事業として、乳幼児とその保護者を対象にした読み聞かせプログラムなど、様々な事業を進めてまいります。
このHP上でもご案内していきますので、本年も図書館HPをご活用ください。己丑年の初めのご挨拶まで
佐倉図書館 館長 蓑輪 正信
仲町つれづれNO.220 2008年12月24日(水)
今の世の中に足りないもの
今年のNHK大河ドラマは、堀田正睦も登場した『篤姫』(宮尾登美子原作)でした。特に女性の支持を受けて高視聴率(平均24.5%)だったようです。今、若い女性の間でも戦国武将が人気だそうですが、英雄不在の時代の反映なのでしょうか。
来年1月からは、戦国時代の上杉家家臣・直江兼続(1560-1619)を主人公とした『天地人』が始まります。原作は、火坂雅志(1956-)さんが2003年10月~06年4月まで「新潟日報」など地方紙13紙に連載したものです。これまで大河ドラマの原作というと、大御所の作品が取り上げられることが多かったので、画期的な登用である、と言えるのではないでしょうか。
今、新潟県内(上・中越)は、至る所「天地人」一色です。すでに、9月初めから上越市でロケがスタートして制作が始まっています。先月末には、主人公が八海山(標高1778m)の頂上に立つオープニング映像が試写されたそうです。この大河ドラマ『天地人』には、主演の妻夫木聡のほか、阿部寛、玉山鉄二、北村一輝、松田龍平等々の人気俳優が起用され、さらに女性の支持があるものと予想されます。


謙信公像と春日山
しかし、何と言っても直江兼続(1560-1619)のすごさは、上杉景勝の家臣でありながら、天下人豊臣秀吉をして「天下の政治を安心して預けられるのは直江兼続など数人にすぎない」(『名将言行録』)と言わしめたり、徳川家康も一目置いていたという「恐れられた存在であった」ことでしょう。
このように強いカリスマ性と、揺ぎ無い信念、美学溢れる生き様といったものが、多くの人を惹きつけるのではないでしょうか。女性にとっては、男女平等の時代といえども、やはり強いリーダーシップを持つ男性像は憧れなのでしょう。

上杉謙信などに詳しい越後一の宮居多神社宮司の花ケ前盛明(1937-)さんは、著書の中で「兼続は身体強健、頭脳明晰で、文武両道に秀いでた名将・智将であった」とし、「兼続の人となりと、民政・経営の手腕を学ぶ必要がある。今日、兼続が見直される所以である」と記しています。この本は、直江兼続関係人名、史跡、年譜、系図、兼続の書状などの資料もあり、大変参考になります。
(花ヶ前さんは、私の高校時代の先生でもありますが、火坂雅志さんの本にも登場します。)
直江兼続は、師である上杉謙信から何を学んだのでしょうか?
謙信は、死去するまでに70余回戦い、ほとんどが攻防戦で、敵の虚をついて奇襲する電撃作戦でした。戦績は43勝2敗25引き分け、戦国大名の中ではトップの勝率で、2回の敗北の一つは永禄9年3月23日の臼井城攻め(佐倉市臼井田)であったというわけです。花ケ前盛明さんは、兼続はこうした謙信の「戦法と『義』と『愛』の心を学んだことであろう」といいます。
「義」と「愛」は、われわれにとって大命題です。「義」とは、辞書的には自分の心の正しさに背かぬようにすることで、中国の孟子は孔子の仁を発展させて義と対等の価値(仁義)とし、利と相反するものとし、仏教の世界では究極の真理を意味します。
また、「愛」とは言うまでもなく精神生活の基本的感情であり、倫理学上もっとも重要な概念です。兼続は兜の前立に「愛」という文字をあしらうほどですが、彼の「愛」の意味するところは、米沢の地で語り伝えられる「民を愛する愛民説」と歴史研究者の間でいわれている「軍神の愛宕大権現、愛染明王への信仰をあらわすという説」の2説があります。
火坂さんは「あとがき」のなかで、史料を当たっていく過程で、上杉謙信の「大将の根底とするところは、仁義礼智信の五を規とし、慈愛を持って衆人を憐れみ・・」(『北越軍談 謙信公語類』)という言葉に注目して、やはり「慈愛」=「仁愛」、「仁」こそが「義」とならぶ(師の謙信から受け継いだ)武士道の根本精神であると考えるほうが自然であるといいます。

このような「仁愛の心をもって国を治める」という思想は、兼続の生涯にわたる生き方の基準となったものですが、彼自身の人徳から発生したことであり、参謀として、「天の時、地の利、人の和」、つまり“天地人”の三条件に恵まれていたという指摘もあります。

火坂雅志さんの著作には、黒田官兵衛(如水)の生涯を描いた『軍師の人』(角川学芸出版)などの新刊もあります。彼の戦国小説を読み解くためのキーワードも「義」であるといえます。上杉謙信曰く「そなたは、わしとはちがう。そなた自身の義を見つけよ」。ぜひドラマが始まる前に、これらの本の一読をお勧めします。

*兼続は愛書家で、蔵書は850冊に及び、現在、世界で唯一の宋版『史記』『漢書』『後漢書』(いずれも国宝)など貴重な書籍が多く含まれています。後年米沢市の禅林寺(1618年創建のち法泉寺)に禅林文庫を創設して家臣教育の場にしています。上杉謙信の遺言に義を立てること、それは「虎穴に入らずんば虎児を得ず」―「上杉家はもう一度越後国に戻ろう」。
*直江兼続は、元和5(1619)年12月19日に江戸の自邸で死んでいます。享年60。
*上杉謙信から受け継がれた「経済」と「義」の両立とは、現実的な経済政策をしっかりと行い、経済の発展をはかりながら義の心を忘れないことといえます。目先の利よりも、もっと大きな義の心を見つめ続けたのでしょう。

*火坂雅志 『天地人』上・下 NHK出版 2006年 *第13回中山義秀文学賞を受賞。
*火坂雅志 『天地人』新装版 上・中・下 NHK出版 2008年
*花ケ前盛明 『直江兼続』(新潟県人物小伝) 新潟日報事業社 2008年
*花ケ前盛明 『直江兼続のすべて』 新人物往来社 1993年
*童門冬二 『参謀力―直江兼続の知略』 NHK出版 2008年
仲町つれづれNO.219 2008年12月20日(土)
やればできる~旭山動物園を見て
倉敷市にある倉敷チボリ公園では、例年より華々しく花火を打ち上げて年越しカウントダウンのイベントを実施するそうです。今年の大晦日をもって閉園となるため「悲しいからこそ、にぎやかに演出したい」とチボリ・ジャパン坂口正行社長が語っています。(『知事の「兵糧攻め」に遭った』(「敗軍の将、兵を語る」『日経ビジネス』08.09.01号)より)
この公園は、デンマークの世界最古のテーマパーク「チボリ公園」をモデルにして、岡山県が主体の第3セクターで1997年より設立運営されていました。初年度は300万人近くの入園者がありましたが、それ以降減少の一途で、昨年度は75万人にまで落ち込んだということです。いろいろな模索もあったようですが、初期投資が総額474億円で、毎年の設備投資を怠り、2006年度からは補助金も打ち切られ、とうとう閉鎖となってしまった、というわけです。
反面、成功例というと、最北に位置する旭川市の旭山動物園の見事な復活でしょう。自治体などの関係者もすぐに視察に行くようで、旭川詣が続いているといわれて久しくなりました。
旭川市は、知る限りでは、1972年に全国初の恒久歩行者天国、買物公園などをオープンしたり、芸術文化都市として名声を挙げてきました。その中で、旭山動物園は1983年に年間入場者数が59万人、1996年には最低の26万人にまで落ち込んだそうです。でもそこから、動物たちの素晴らしさが伝わり「何度も足を運びたくなる動物園にするには」という職員の努力と、首長の英断(岡山の例のように、入園者が減ってお金の話になると、いつも廃園の話が出てくるのが常)により、2004年には2ヶ月間に限って初めて上野動物園の月間入園者数を上回って年間145万人を記録し、今や年間300万人を超える(06年)までになったということです。パンダのようないわゆる珍獣がいるわけでもなく、1年の半分近くを雪に閉ざされる動物園が「日本一の動物園」といわれるまでになったのです。

この動物園の園長だった小菅正夫さん(1948-)の『〈旭山動物園〉革命―夢を実現した復活プロジェクト』(角川書店・2006年)という本には、「頭だけで考えたものではなく、園内にいる野生動物と向き合うことによって、動物たちから教えられたこと」を「代表してお伝えするだけである」と謙虚に書かれています。
誰でも、能力を発揮できる環境があれば、もっとやろうという意欲が出て、イキイキとして能力を高める努力をするものです。そうして組織は活性化し、予算がなくともアイデアで話題をつくることもできるようになります。旭山の場合、夜な夜な集まって「理想の動物園」について話し合ったといいます。動物の側になって考えること、ストレスのない環境をつくる、お互いにハッピーになる、ということが示されています。その結果として、生き生きしている動物たちの姿があり、誰もがその姿に感動するのでしょう。
管理社会になり、理想を失ったら、終わりです。「これほど真剣に考えてくれていて嬉しかった」と職員にいい、アイデアを実現してくれる市長もすごいですが、「それぞれの動物のいちばんかっこういいところは、彼らがやりたいことをやっている瞬間である。それをお客さんに見せたかった。」という小菅さん。すでに定年退職されていますが「旭山動物園の、これからを期待していてほしい」と結んでいます。

*旭山動物園の話は映画にもなりました。園長は西田敏行、他に長門裕之、柄本明、岸部一徳等が動物たちと共に好演しています。2月7日よりロードショーになります。
*かつて旭山動物園で25年間飼育係をしていた絵本作家あべ弘士(1948-)さんは、『あらしのよるに』(講談社)、『はりねずみのブルブル』(文渓堂)シリーズなどでたくさんのファンがいます。あるプロフィールに「哲学をゴリラに、絵をゾウに師事」と書いてありました。昨年東京でもあべさんの絵本原画展が開かれ、旭山動物園へ行ったことのある司書も出かけていき、その作品を再確認してきたようです。映画では柄本明さんがあべさん役を好演しています。
*『女は人生で三度、生まれ変わる』(草思社)という本があります。動物園に行く機会は、人生のうちで三回あるそうです。一回目は、自分が子どもの時に親に連れられて、二回目は自分が親になって子どもを連れて、そして三回目は自分の孫と一緒に、だとか。北の地は遠いですが、皆さんも何度目かの機会として、近くの場所から、ぜひ足を運んでみませんか。

*小菅正夫『〈旭山動物園〉革命―夢を実現した復活プロジェクト』 角川書店 2006年

*映画『旭山動物園物語~ペンギンが空をとぶ』(マキノ雅彦監督) 「旭山動物園物語」製作委員会 角川映画配給 2008年
仲町つれづれNO.218 2008年12月17日(水)
『巨人伝説』に登場する堀田正睦

今、『群像』に、野口武彦さんの『巨人伝説』が連載中です。この「巨人」とは、小欄No.166で「鈍牛」とか「近江牛」とかと蔑称で呼ばれたと紹介した、井伊直弼のことです。井伊直弼については、No.163で取り上げた津本陽さんの「開国」では「彦根牛」といわれています。野口武彦さんは、歴史がどんなに大きく偶然性で動かされたかという実例の一つとして取り上げ、「本来なら、直弼は近江のどこかの大きな寺の住職になっていて不思議はなかった人物」(『井伊直弼の首』)といいます。幕末の志士たちは「井伊の赤鬼」と呼んで憎んだとも。
連載では、安政4(1857)年「主役たちは、いよいよ花道への出番が近づき、揚幕の陰に待機しはじめたけはいである。歴史の舞台は、日米通商条約を機軸にして今や大きく回ろうとしている」ところに入ってきました。堀田正睦も登場しています。安政5(1858)年1月4日、幕府は「堀田正睦自身が叡慮を伺いに上京する」と決定します。補佐役の川路(としあき)、岩瀬忠震らとともに、ハリスとの対話から、朝廷の対応に明るい見通しをもっていたことがわかります。しかし、大汗をかく展開になっていきます。どちらの側にしても正念場だったわけです。「堀田在京中の約一ヶ月間は、、《条約許すまじ》の一念に燃えた孝明天皇が幕末政治史の表舞台に迫り上がる重要な日々」であるといいます。この「京都政争の巻」(前篇)は、福地桜痴の『幕末政治家』や『橋本左内全集』、世古格太郎の論評等を援用しながら、展開されていきます。

*野口武彦 『井伊直弼の首』 新潮新書 新潮社 2008年

仲町つれづれNO.217 2008年12月16日(火)
佐倉藩士木村軍太郎と『英和対訳袖珍辞書』

市立美術館で23日まで、佐倉市・開国150周年記念事業「日米修好に駆けた藩主堀田正睦」という展覧会が開かれています。以前小欄で紹介した堀田正睦の書なども展示されています。関連する図書資料を紹介します。『蘭学者木村軍太郎伝』(印旛郷土研究会)『英和対訳袖珍辞書』(名雪書店)です。
幕末、国防上の動機から西欧諸国の言語・文化の吸収が始められます。学術分野の近代化では、幕府の果たした役割が大きく、その中心が英日辞書の編纂事業であったといわれています。
佐倉藩士の木村軍太郎(1827-1862)は、佐久間象山等から蘭学を学びましたが、開国に際し、ハリスが差し出した「外国使節待遇の件に関した覚書」を翻訳するなどの活躍をしたといわれています。同時期に活躍した佐倉藩士の西村平太郎(茂樹)、依田十太郎(柴浦)とともに「佐倉の三太郎」とも呼ばれたとか。
『蘭学者木村軍太郎伝』(1937)は、当時の旧制佐倉中学教諭であった村上一郎(1903-1961)『佐倉藩の洋学第一集 木村軍太郎伝』として著したものです。このたび印旛郷土史研究会により、新仮名遣いに改められて読みやすく刊行されました。木村家の家系、木村軍太郎の誕生から、蘭学修行、ペリー来航、天文台、蕃書調所時代のことなどが書かれています。
村上一郎の著作としては『佐倉の洋学第二集 蘭医佐藤泰然―その生涯と一族門流―』(1941)も刊行されています。この本は、佐倉順天堂記念館の開館にあたり、佐藤泰然先生顕彰会の事業として佐倉市で復刻した(1986年)という経緯があります。


そして、昨年1月のことです。2008年英学史200周年、日英、日米修好通商条約締結150周年という記念すべき年を前に、高崎の古書店主が古書市場の棚で「蕃所調所」と印刷された用箋が混じった辞書の草稿のようなものを手にした、それがわが国で最初に刊行された英和辞書として知られる『英和対訳袖珍辞書』の校正原稿の発見でした。マスメディアの報道によって、店主のもとに多くの研究者から問い合わせが殺到し、店主の眼識と識見により、特定のところに入ってしまうと閲覧が困難になるということで、全文全情報を原寸大のカラーで示された影印本として刊行されたのです。
当館でも所蔵しましたが、大変高価で貴重な郷土資料のため、館内閲覧のみでお願いしているところです。
現在確認できる伝本は、この辞書の編纂主任である堀達之助の玄孫である堀孝彦先生らの調査によると、海外では2本、国内では13本が確認されており、今回の発見された資料は、手書きの初版、文久2年刊の文久版の草稿に朱を入れた21枚(採録語数3万5千語中の3%強に当たる1千余語)、それと印刷された文久版を約10枚ごとにコヨリで綴じた改正増補版(再版1刷・慶応2年刊)のために初版の未製本清刷りに校正した原稿61枚(122頁、全体の八分の一相当)の2種類ということです。
文久元年のころ、蕃書調所(文久2年5月18日に洋書調所に改称、さらに文久3年8月29日に開成所となる)の堀達之助(辞書編纂代表)のもとに、同僚の西周助や箕作麟祥らが英語の稽古に通っていたといわれています。後に高島太郎、佐倉ゆかりの手塚律蔵、などが加えられています。
文久初版には、校正者に竹原、千村五郎、箕作貞太郎のほか、「宮崎元立」と「木村」という名を見ることができます。この「木村」こそ、当時蕃所調所の教授手伝(助教授のごときもの)をしていた佐倉藩士木村軍太郎といわれています。「木」だけを記したのがほとんどですが、一番多く出てきます。
「森」という名は和蘭通詞森山榮之助(多吉郎)かといわれています。小石川に英学塾を開き、門弟に津田仙などがいます。
木村軍太郎は文久2年8月15日に亡くなっているので、慶応再版に名が出てくるのはどうなのかという問題がでてきます。
持ち主は、文久初版が出版されたといわれる文久2年12月以前に再版の改訂作業が行われていたという仮説はどうか、といいます。もし木村軍太郎だとすれば、幕府から英和辞書の刊行を急がされていた理由から、堀は先ずは不完全を承知で初版を少し出版しておいて幕命を守り、実は文久初版を出版する前から改訂再版を計画準備していて、次々に出来上がってくる初版の清刷りを使って改訂の作業を順次行っていたのではないかと考えられています。

木村の校正の一例を挙げます。現在の辞書で無私無欲を意味する単語<Disinterest>を見ますと、Disinterested<形容詞>=大切ナラザル係り合ナキ・・、Disinterestedly<副詞>=大切ナク係リ合ナク、Disinterestedness<名詞>=大切ナラザルコト、とあるところに、無欲ナル、無欲ニテ、無欲ナルコト、というように朱を入れています。
いずれにしても、この校正原稿は、これらの知識人がオランダ語から英語へ移り変わっていく現実を反映する第一級の史料といわれています。今後の研究が待たれるところです。
この2冊の本を併読するだけでも、佐倉藩主堀田正睦の卓見というか、すごさがわかるのではないでしょうか。

*村上一郎『佐倉藩の洋学 蘭学者木村軍太郎伝』新訂復版 印旛郷土研究会 2008年
*『英和対訳袖珍辞書原稿影印』(文久二年江戸開板・慶応二年江戸再版)名雲書店  2007年

仲町つれづれNO.216 2008年12月10日(水)
月から光へ-柔らかな光を求めて
今年もあとわずか、この季節は、競うようにあちこちでイルミネーションを見ることができます。最近は、環境に配慮して発熱量・電力消費量が少なく、素子そのものは永久に使えるというLED(発光ダイオード)を使っているためでしょうか、その輝きが年々増してきているように思われます。
「日本で理想の光の状態は何か」というと、国際的に活躍する照明デザイナーの石井幹子さんは「満月の夜」(満月の明るさは、0.1ルックス)だといいます。
石井さんの書いた本『新・陰翳礼讃』によれば、「銀閣寺も桂離宮も月を見るために建てられた」そうで、「電気エネルギーによる照明がなかった時代、月は夜の暮らしを司る天空の光であっただろう」というわけです。

月は季節に限定されることなく見ることができるものです。しかし、「仲秋の名月」は別として、現代人で気をつけて月を見ている人は意外に少ないようです。

汐留のイルミネーション
(15時半ごろ撮影)
月明かりは、美の根源にかかわるものです。先日、平塚市美術館で観た速水御舟の絶筆は『円なる月』(1935)という名の作品でした。両脇から出した松の枝を配し、左下に大きな銀色の満月が描かれています。
また、絵画を通じて身辺の事象から社会的な事件までをモチーフに、アイデアを尽くして問題提起している画家福田美蘭さんの新作に『月』(2008)という作品があります。その画面には様々な形や大きさをした月、数えてみると37ほどの月が描かれています。彼女は「情報が伝える実に様々な月の姿を美しいイメージとして認識している」が、「それを画面に集めることで、それが1つの月であることを考えています」とコメントを書いています。
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(1933-34)というエッセイがあります。「美と云ふものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれゝゝの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添ふやうに陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れてゐるので、それ以外に何もない。」という谷崎は、「われわれの座敷の美の要素は、此の間接の鈍い光線に他ならない」と指摘して、「いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使ひ分けに巧妙であるかに感嘆」しています。また、この「心の故郷」ともいうべき「暗がりが持つ無気味な静かさ」こそ、西洋人のいう「東洋の神秘」ということだろうとも。そして、「既に失ひつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい」と、決意の核心を表明しています。
自由学園・
明日館の照明
石井さんは、フランスの著名な照明デザイナー、ルイ・クレア氏に、彼がこの『陰翳礼讃』を教科書にしていることを教えられたそうで、「もう一度美しいあかりと一緒に暮らすことを考えてみたい」と、『新・陰翳礼讃』という本の中で、これまで体験してきた様々なプロジェクトを通じて、光への思いを語っています。
私自身の北欧やオランダなどでの生活体験から見ても、今の日本人の生活はいたるところで光が氾濫していて、明る過ぎといえます。日本のオフィスの明るさは、ほぼ1000ルックス、最近の都心にできた高層ビルのオフィスでは1500~2000ルックスだそうです。心地よい明るさの変化が感じられるのは、10~50ルックスくらいまで、だそうで、満月の明るさとは、眩しいほどの違いです。
家庭での明るさも然り、このように昼間の明るさの延長が続いていては、体は憩うことも寛ぐこともできないでしょう。体のためにもよくないということです。石井さんは「ほの明かりにすることによって、物も人も美しく見える」し、「寛ぎも心地よさも生まれる」と。それは「倹約して省エネすることではなく、美しく暮らすために少エネすること」ですと提案しています。

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の結語ではありませんが、「まあどう云ふ工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。」 是非、実践してみませんか。

* 石井幹子 『新・陰翳礼讃』 祥伝社 2008年
* 谷崎潤一郎 『陰翳礼讃』 (現代日本文学全集31 筑摩書房 1970年所収)
仲町つれづれNO.215 2008年12月6日(土)
月を想う
此の世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたる事も無と思へば  藤原道長

道長の栄華を伝えるこの歌は、調べの美しさより、その尊大さから、誰でも一度は聞いたことのある有名な歌でしょう。990年前にあたる1018(寛仁2)年の10月16日(旧暦)、道長の三女威子が後一条天皇の皇后となり、3代続けて娘が皇后に選ばれたことを祝う酒宴の席で詠まれたといわれています。(『次代への名言』08・10・16付産経新聞より)

月は、普段は何の気なしに遠くにあって見るものですが、我々日本人は、古くは「かぐや姫」(平安時代)を生み出し、月を様々な名前で呼ぶほど、自然の一部として繊細に観察し、愛でてきました。現代においては「やがてはそこに住む」という人類の夢に向けた準備が着々と進められています。先日も、2010年2月に打ち上げ予定の米国スペースシャトル「アトランティス」に山崎直子さんが搭乗することになったというニュースが流れました。山崎さんは日本人の宇宙飛行士としては8人目、ママさん飛行士としては初めてということです。ミッションを成功させてほしいものです。
1960年代、アメリカは宇宙計画でソビエトに後れを取っていましたが、当時のケネディ大統領の強い意志で月着陸を目指したアポロ計画が推進されました。その結果として、1969年7月、アポロ11号で人類が初めて月に降り立ちました。
来年は月面着陸40周年を迎えます。その記念として、月面を歩いた10人の宇宙飛行士たちの証言と鮮やかに蘇ったNASA(アメリカ航空宇宙局)蔵出しの映像で綴られたドキュメンタリー映画ができました。タイトルは『ザ・ムーン』(デイヴィット・シントン監督、原題は『IN THE SHADOW OF THE MOON』2007、イギリス)、2009年1月16日から公開されます。
人類として、初めての歴史的な一歩を踏み出したニール・アームストロング(1930-)は「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と言いました。その時アームストロング船長と共に降り立った宇宙飛行士バズ・オルドリン(1930-)博士が最近来日し、その記者会見で「私たちは月から地球を見た。地球の人たちは私たちのことをおもって月を見てくれた。心のつながりを感じ、大変謙虚な気持ちになった」と語ったそうです。
また、ある宇宙飛行士は「我々は月を知ることで、実は地球について知った。遠く離れた月で親指を立てると、親指の裏に地球が隠れる。すべてが隠れる。愛する人たちも仕事も地球自体の問題もすべて隠れてしまう。我々は何と小さな存在だろう。だが何と幸せだろう。この肉体をもって生まれてきて、この美しい地球で人生を謳歌することができて」といいます。
監督は、アポロ計画について「人類は仰天するような能力を発揮できるということを物語る永続的な記念碑だ」としています。一方、毎日流れるニュースのように、我々は自分たちの故郷である地球を危機的速度で傷つけています。だからこそ「この作品で人類の最良の姿と一心同体になってもらいたい」といいます。
今月の冬至(12月21日)まで日照時間が短い今の時期、朝も夕方も暗く、日々明かりが必要です。だからなのか、毎日、月が気になります。月は不老不死の力を持つとも云われますが、時に、遠くにいる亡き人を想い描いたりもします。
*先日、バスで修善寺へ紅葉狩りに行った時のバスガイドの話によると、静岡、とりわけ富士市周辺に伝わる「かぐや姫」伝説では、かぐや姫は月ではなく富士山に帰ったのだそうです。富士山は不死、不二の山であり、天に届くほど高かったから、なのでしょうか。


*立花隆 『宇宙からの帰還』 中央公論社 1983年


東名高速から見た富士山
11月22日午前11時頃撮影
仲町つれづれNO.214 2008年12月2日(火)
「蟹工船」ブームの中で~文学講座を開催します。
以前にも取り上げましたが、小林多喜二(1903-1933)による悲惨な労働環境や労働者の団結などが主題の『蟹工船』(1929)が、今、多くの人に読まれています。その要因の一つのキーワードが「格差社会」だそうです。
なぜ格差が起こるのか、という問題を知るには、橘木俊詔の『格差社会 何が問題なのか』(岩波新書)、『女女格差』(東洋経済新報社)、三浦展の『下流社会』(光文社新書)などが参考になります。貧困という言葉も多く使われており、岩田正美の『現代の貧困』(ちくま新書)、若者からお年寄りまでの様々な声を取り上げた『貧困大国ニッポン』(宝島社新書)、過酷な労働現場の実態を知るには、NHKのドキュメンタリー番組を書籍化した『ワーキングプア 日本を蝕む病』(ポプラ社)、自ら自動車工場の季節工として働いた経験がある鎌田慧の『自動車絶望工場 ある季節工の日記』(講談社文庫)等々を挙げることができます。
2008年1月に開催された『蟹工船』エッセーコンテストの入賞作17編を収めた『私たちはいかに「蟹工船」を読んだか』(白樺文学館多喜二ライブラリー)もあります。「あほらし屋印」を使う斎藤美奈子さんの連載エッセイ「世の中ラボ」No.26〈「蟹工船」を読む若者たち〉(『ウフ』08・AUG.No.174)で紹介されていますが、「まさに『ロスジェネの叫び』(「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代が最前線で犠牲になっているという叫び)であふれている」と書かれています。


でも、なぜ『蟹工船』なのでしょうか?現代と当時では歴史的背景なども違うわけで、自然発生的に立ち上がった労働者の姿であるということが、ポイントのようです。今の厳しい労働環境にいる若者たちがそこに共感したということです。

香山リカさんの原稿によれば、9月16日から18日まで、オックスフォード大学キーブル校で「小林多喜二記念シンポジウム」が開かれ世界各国から多喜二研究者が集まったということです。メーンテーマは「多喜二の視点から見た身体・地域・産業」で、日本の発表者は多喜二ブームについても言及していたということです。(『毎日』08・10・15)
また、『蟹工船』は年末恒例の「2008新語・流行語大賞」のトップ10にも入りました。来年公開予定で、SABU監督、松田龍平主演で『蟹工船』という映画がつくられているようです。「あえて時代を特定しない設定」になっているようです。
こうした『蟹工船』ブームに因んで、7日(日)午前10時から、臼井公民館2階集会室において、文学講座を開催します。『蟹工船』の小林多喜二と同時代の島木健作(1903-1945)という、高見順、中野重治らとともに転向文学を代表する作家を通して、この時代の文学を考えてみようとする機会です。
講師は地元在住の大木勲さんで、郷土文学、日本近代文学の研究をしながら、県内の公民館等での文学講座の講師としても活躍されています。
島木健作の『赤蛙』(1946)は修善寺を舞台に描かれた短編です。彼は胸部疾患で床にあることが多く、療養のため修善寺温泉に滞在していたようです。修善寺滞在中、散策の帰り道で川を見つめていたところ、必死に向こう岸に渡ろうとしている一匹の蛙が目に入ったということです。蛙は精魂尽きて、流れにのみ込まれてしまったことに、自分の体調と運命を映して共感したようです。それが『赤蛙』を書くきっかけになったようです。彼は修善寺から帰京した翌年(1945)終戦の2日後、41歳で亡くなりました。この『赤蛙』は、死後遺作として発表されました。


修善寺の紅葉
(11月22日撮影)
修善寺ではこの短編を記念して、桂川の滝下橋の近くに「赤蛙公園」が整備されているそうです。(先日修善寺へ行ったのですが、暗くなってしまっていてわかりませんでした。)
講師の大木さんは、特にこの『赤蛙』を高く評価して島木健作を中心に講演されます。熱弁が期待されます。休日の午前ですが、どうぞ臼井公民館までお出かけください。お待ちしております。
*紫式部が「源氏物語」を書いて1000年の節目とされる今年、「源氏千年紀」という名の下いろんな行事や本が出されています。難解なイメージがつきまとう長編文学がなぜ現代に見直されているのか。11月1日京都では天皇・皇后両陛下をお迎えして記念式典が開かれたということです。
この紫式部という人も本名も生没年も不明で、なおかつ400字詰め原稿用紙にして2300枚に上るといわれる長編の一部別人説もあるといわれています。そのあいまいさが現代人の心をつかんでいるという見方もあるようです。歴史的にも「社会が不安定になり、人々が精神的な柱を探し求める時代に、源氏物語は脚光を浴びてきた」といわれています。「厳しい時代」がいっそう、人々を古典に向かわせるのでしょうか。
仲町つれづれNO.213 2008年12月2日(火)
「知は力なり」の時代 図書館協議会を終えて
先月末に図書館協議会が開催されました。今日の図書館を取り巻く状況もかなり厳しいものながら、一定の体制と条件の中で、最大最良のサービスに職員一同努めていくことをお話した次第です。
その席上、委員長より、オバマ米次期大統領が2005年シカゴで開催された米国図書館協会(ALA)の年次大会での基調講演で、図書館やライブラリアンの役割を称える演説を行っているという話を伺いました。
「自由の基盤である真理へのアクセスを支える存在」として図書館を見なし、識字・読書の重要性等を訴えた内容の演説は、「『初めに、言葉があった』。これは聖書の中で特別な意味を持つ言葉だが、より広い意味で言えば、言語、書くこと、読むこと、コミュニケーションを行うこと、そして文化を伝え、一つの人民として我々を結びつける手段の一つである本は、決定的に重要なものだ、と語る言葉なのだ」と始まっています。そして、図書館を本やデータを蓄積する単なる建物としてではなく、より大きな世界への窓、米国や人類の歴史を前進させるのを助ける、大きなアイデアや深遠な概念が発見される場所として位置づけています。さらに「私は、図書館が学習の聖域であり続けることを保証するべく、あなた方と共に働きたい」と語ったということです。
また、自らの経験から幼少期からの読書が大事であり、自分は『GOODNIGHT MOON』(邦題:『おやすみなさい おつきさま』理論社1979年)という絵本が好きだったとして、「子どもの最初の検診の際に、子どもの人生最初の図書館利用カードを渡す」または「人生最初の1冊」としてこの本を持ち帰るようにすべきだと提案したそうです。この絵本は、カラーと白黒のページが交互に配置された構成で、カラーの色がとてもきれいです。アメリカではとても人気のあるロングセラー本だということです。われわれは「子どもたちが夢を実現するチャンスを与えるべく、子どもたちに読書への愛を植えつける責任がある」わけです。
オバマ氏は「言葉の力」で大統領選に勝利したといわれています。「隣の芝生は青く見える」というわけでもないのですが、なんとも羨ましい限りです。
*ローラ・ブッシュ大統領夫人は、図書館学の修士号を持ち、元司書だったそうで、家族で読む本、子どもと読む本など66冊の図書を推薦しているそうです。『はらぺこあおむし』(偕成社)、『がまくんとかえるくん』(文化出版局)など邦訳されている本も挙げられているようです。テキサス州には「ローラ・ブッシュ コミュニティ図書館」という彼女の名前のつけられた図書館もできているようです。

今のわが国のリーダーは、どうでしょうか?このところ、不用意な言葉で混乱を招いたり、読み違えが多く「読字障害」の疑いがあるなどと、連日のように揶揄されているのを目にします。選挙に出たこともある作家の野坂昭如さんは、『七転び八起き』(『毎日新聞』連載42回・08.11.21付)の中で「政治家に必要なのは何より言葉だ」「言葉を尽くして、自らの考えを伝えることこそ政治家の務め」と書いています。オバマ米次期大統領のように、言葉で国民の心をつかむようなリーダーでなければならないのではないでしょうか。
かつてジャーナリストとしても活躍した石橋湛山元首相(1884-1973)は、病気のために、首相としては1956年12月から57年2月までという短命政権でしたが、「いつもの日課のごとく書斎で経済学の原書を読んでいた」(『毎日新聞』夕刊08.11.27付)そうです。やはり「優れた政治家とは一流の読書の人」ということができます。その記事の中で、田中秀征・元経企庁長官は「政治に真剣に取り組もうとしたら読書は避けて通れない。」「読書は大局観や思索する力を養ってくれます。読書で視野を広げ自らの原体験を意味づけて、国民生活へフィードバックするのが政治家の役割である」と語っています。
このところ、新聞紙上には、モラルを問うたり、事件に関連して「図書館」という活字が大きく出てくることが多くなりました。良い意味で図書館の存在を改めて考えて欲しいものです。世間では「読書離れ」と言われていますが、図書館の利用状況からみれば、決してそういうことにはなっていないと感じています。日本人は『源氏物語』という千年を超えた貴重な財産などをたくさん持っています。これからも日本の、日本人としてのアイデンティティを確認する意味においても、文字文化を大切にしていくとともに、図書館の存在を忘れないで利用してほしいものです。

                                       このページのトップへ戻る
  


このページは、InternetExplorer5.5以上、または NetscapeNavigator6.0以上のブラウザでご覧ください。